主観 客観について
こんばんは。
今日も自分の出来事を書き連ねていきたいと思います。
今日の夜、家族でご飯を食べていたんですが、
妹が枝豆を食べ損ね落としてしまいました。
父が早く拾うよう促した時、妹は「落ちた」と言葉を発し、父はそれに対して皮肉のように「落とした」と言いました。
正直どちらでもいい話なのですが、これの違いって主語の違いなんですよね。
えだまめが“落ちた”
妹が“落とした”
どちらにテーマ、スポットが当てられてるかの違いと思うんですけど、やはり枝豆にスポットがいくと、なにか昔話、おとぎ話のようなテイストがかかりすこしまだ未熟な思考回路なのかなと考えました。
そして逆に落とした張本人にスポットがいくと、当然客観的に見た現象を言葉にしたという感じでしょうか。
もう一度言いますがどっちを主語にしようと意味も何も変わりません、ですが物事に対する考え方において、大人になっていくにつれ自然と客観的に思考を凝らせるように自分自身もなりたいと思いました。
例えばある場所を尋ねられた時、自分の知っている区域からここからどういってどう曲がってどうこうしたらたどり着くよ。という主観的な示し方だと自分は分かりますが他者は分かりません。一方、その場所に対してある程度近くの住所を提示できるようになるだけで相互理解が可能になります。これも客観的に説明できているからこそなせる技なのだと思います。
やはりこういったところから、大人になるにつれ主客未分した世界から抜け出さないといけないと思いました。
以上で今日あった出来事からの自論は終了します、ありがとうございました^^